価格(Pricing)について考えるきっかけ
昨日、台湾の高雄空港から帰国しました。
飛行機で隣に座った方との話がなかなか示唆に富んでいて、いつもならうつらうつらと寝る時間が、今回はそんな事もありませんでした^^
ちなみにその方は、「高雄」を「たかお」ではなく「Kaohsiung(カオシュン)」、「厦門」を「あもい」ではなく「Xiamen(シアメン)」と発音する国際人。毎年ご両親を台湾に連れていっているのだそうです。
高雄はこじんまりとして、でもなかなか魅力的な街でしたよ^^

さて、その会話で出てきたのが仕事の話。
その方のご知り合いは某有名なコンサルティングファームにお勤めしていたそうです。
そのコンサルティングファームはもちろん「企業経営」に関するコンサルティングをしています。端的に言えば、企業経営においては、「お金の流れ」をマネジメントすることが最大の「仕事」なのです。
もちろんお金の流れと言っても、「生み出す」「膨らます」「無駄使いしない」の三点セットが基本なのは家計と同じなのですが。
「生み出す」に当たっては、お客さんに買ってもらう事がスタートですね。
いくら良いものを持っていても、それが売れなければ意味はない。
そういう意味で「価格(Pricing)」が大切な事がわかります。
価格は難しい。
自分がモノやコトを買う時に、その価格は意思決定に大きな影響を与えます。
売りたい人は少しでも「高く」売りたいし、買う人は少しでも「安く」買いたい。
意思決定は「買う人」にあるわけですから、価格の本質は「買う人」にあると思います。
買いたい人が「よし!買おう!」と思わない限り、その商品やサービスは売れません。
価格は、一見「相対的」に見えますが「アンカー」が働くという意味では「主観的」なものです。「相対的」とは「市場の需要の影響」を受ける相場があるという事です。しかし実はその「相場」というものは「アンカー」なのですね。
一方で、価格とは「論理的」に決まるものではなく「感情的」なものなのです。売り手が「論理的」に決めるものではなく、買い手の「感情(安い!)」という直感で決まる事が多いきわめて非合理的なものなのだと思うのです。
その事(価格)について、これからしばらくこのブログに書いてみたいと思います。
品質や技術の「価値」は、「価格」にどうかかわるべきなのか…。
そんなことを。
(つづく)