top of page
  • 執筆者の写真桑原

道具を使いやすく工夫することで仕事の生産性があがる

私は、クラシック音楽が好きで、よく聴きます。


基本的にメロディアスな(チャイコフスキーのバイオリンコンチェルトのような)曲が好きなのですが、意外と和音の中の内声(3つの和音だったら真ん中の音)が動くのも好きだったりします。



たとえば、コード的に言うと、C(ドミソ)の和音の内声はE(ミ)の音なのだけど、それをあえてC(ド)とG(ソ)の音はそのままにして、内声をF(ファ)からE(ミ)に落ち着かせたり…。


内声が変わると音楽の表情が変化します。


特にフランスの作曲家ドビッシーとかラベルとかの音楽を思い浮かべてもらうとイメージできるでしょうか?

J.S.バッハの音楽も、結構内声が動いて和音的にはぶつかったりしますね。。

ギターではコードを抑えるのがなかなか難しいのですが、南米の作曲家M.Mポンセの曲などもそうです。




で、話を元に戻すと。


クラシック音楽の場合、作曲家が作った楽譜が存在します。


だから、演奏家や指揮者、オーケストラは基本的にその譜面の音をなぞっていきます。


でも、演奏を聴くと、同じ曲でも全く違う曲に聞こえたりします。


フルトベングラーが振るベートーベンの交響曲9番と、カラヤンが振る9番、ましてや小澤

征爾が振る9番・・・・。


テンポも違えば、表情も違う。

フレーズに対する解釈が違うから、聞こえてくる景色が変わる。


だから面白いのかもしれないですね。


たとえ台本(楽譜)が決まっていても、自分なりの解釈と工夫と「即興性」でどのようにでも表現できるところが良い。


落語なんかも同じです。


噺家によって、いろいろなバージョンがある。


だから、いろいろな噺が、何回でも語り継がれるし、同じ噺家の噺を何回でも聞きたくなる。


そこに存在する共通のキーワードは「チャレンジ」でしょう。


先人を真似できて満足するのではなく、そこに自分を入れ込むチャレンジが、更に新しいものを作っていくのだと思います。


日本の古典では「守破離」とも言われますね。


先生から教えていただいた形を繰り返し習得した後に、自分流の味付けをする。

そこには「これをやると叱られるかもしれない」という不安と「こんな形も面白いのではないかな」という好奇心がまじりあった「チャレンジ」があるのだと思います。


私はTRIZという手法をもとに、人間の創造性を高めることを研究しています。


基本形はTRIZです。


TRIZは、ロシア人のアルトシュラー氏達が250万件にのぼる特許を分析して得られた問題解決の理論です。


実はTRIZの様々な手法を使うためのアルゴリズム(ARIZという)もあったりするので、TRIZの形はなかなか強固で手ごわいのも事実です。


だったら、そこに自分なりの工夫が出せたら・・・・。


いや、出さなければ私のレゾンデートルがないでしょう?


そこには当然ながら、失敗を恐れない、いや失敗から学ぶべきチャレンジが必要なのだと思います。


先人たちが考えたことに対して、それを超えるべく努力することが、思考停止に陥ることなく、常識と称するものを疑いながら、新しいものを生み出す原動力になることを信じています。


閲覧数:27回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page